

見えないよりは見えてる方が何かと得した気分である事は否めない事実である。
パンツが見えるとラッキーだと思うのと考え方は同じだ。
しかし…パンツよりも強烈に見えたらラッキーだと思えるもの…それが女性器である。
エグいものだと考えてる人も少なくないかもしれないが
やはりもろ見えのおまんこは誰でも興奮するものである。
だって普段は見えないものなのだから…。
物は言いようと思うかもしれないが、ボカされてるものよりも
もろで見えてる方が興奮する。
最初はビックリするものだ。
「え?嘘?これもろだったんだ!」
と言うような反応を見せてしまうものだ。
しかし…だからと言ってそのまま再生を止めようとはしないものだろう?
当然だ。せっかく見えたものをわざわざ拒むような事は誰だってしない。
女性のスカートが捲れて、パンツを見てしまった時に、なかった事にするような男性はいないはずだ。
むしろラッキーだと思う人がほとんどなのではないだろうか。
さらにパンツの中身まで見えるとなればなおさら最高なはず。
私はもろ見えおまんこの存在を否定しない。むしろもっと出してもいいと思っている。
なぜこの日本のいう国は「表現は自由である」と謳っておきながら
思想の自由を奪うのか…全く理解が出来ない。
おまんことは一つのアートなのである。
二つとして同じおまんこは存在しない。
その時、その瞬間、その人にしか持ち合わせていないアート…つまり芸術なのである。
それをなぜ規制しなくてはならないのか、なぜ隠さなければならないのか…全く理解が出来ない。
もろ見えのおまんこが好きな世の男性は五萬といるだろう。
きっとこの文章を今ここまで読んでいる貴方も同じなはず。
否定はさせない。なぜならここまで読んでしまっているからだ。
興味がなければここまで読んでいないだろう。
興味津々な事は認めてしまおう。気持ちも楽なはずだ。
神聖なるおまんこ…私は幾多のおまんこを見てきて思った事がある。
これはもっと世の中に知ってもらうべきだ…と。
だから私はもろ見えのおまんこが好きなのだ。
より多くの人に知ってもらいたい。
より多くの人に見てもらいたいから。
もろ見えおまんこ…その輝くまでに神秘的な響きと見た目はまさに人類の最高峰のアートとも言えるだろう。
有名な画家などでも女性器をモデルにしてる人はいる。
パブロ・ピカソもその一人だったと言われているくらいだ。
まずは疾しい気持ちから入って頂いて構わない。
そのうちもろ見えのおまんこをアートだと感じる事が出来るようになるだろう。